ブログの渋谷

結果を残すヒトの本質

2018年05月08日

一昔前には「できるヤツ」と思われていたヒトタチ。。すなわち論理的でリスク回避能力が高く、
場合によっては姑息で結果のためなら手段を択ばない。
そして自己主張が激しく頑固で、味方と敵を明確に区別して、敵とみなした人間は徹底的に攻撃する。
最近ならSNSみたいなものも使うし、姑息に人間がヒトの悪口を好み同意し流布する習性を使い、
そういう噂を流したりも平気でする。
味方とみなした人たちには、とても良い人間を演じて信頼を勝ち取ろうとするが、まぁそれも結果のため。

ただ、こういうヒトが結果を出せた時代って、20世紀終盤から金融至上だったリーマンくらいまで
ぢゃないかなぁ~と。
なぜなら垂直統合な閉鎖的社会であったり、お金のための結果だけを追求できた社会だったからこそ
適用できた手法だったと思います。

現代は、フェイクニュースの類が糾弾され、ヒトの価値観はもっと人間の本質的な満足や納得、豊かな経験、
誠実な倫理観へと近づいています。
SNSに対する見方も冷静になって、そういう類のウソやヒトの噂の流布や裏表のある振る舞いこそ信頼感を
無くしていきます。
さらに社会の価値自体が変化しているから、そういう手法では協創することなどできないので、当然味方
だけの小さなコミュニティしか作れず、時代を動かすような大きなうねりや価値を創出することもできなく
なりますね。

もう一つの視点が、「結果のため」と言ってるが、そういうヒトたちが本当に結果のためにこだわっている
のかと言えば、そうではないケースがほとんど。
それは「結果を出した自分のため」であって、「社会が必要とした結果のため」ではない、どこまでいっても
独善的で個人の強い欲望のため。
ココが一番のポイントだと思っていて、本当に歴史的にも物事を成してきたヒトは、この「社会が必要とした
結果のため」にそういう強い性格を活用したから、本当の意味での結果を残せて、そして結果的に名声を手に
入れたんだと思ってます。
とはいえ、強い欲求がないヒトには、そもそも物事を成しえないので、その欲求がどこへ向かっているかが
重要だということです。
それが社会正義のためだから、利己ではなく利他な意識で成果を出そうとできることに意義がありますね。
 

最近はここの時代錯誤で、古めかしいクローズドな手法や強い性格を利用してTakerとして結果を求めるヒト
たちが、ことごとく失敗しています。
フツー考えてそうですよね。。。それが通用した時代がおかしかったと思うし、上述のポイントを履き違えた
「能力高いように見せる系」のヒトタチって、そもそも利他の心もないので、ムリかなぁと。

ゴールデンウィーク中に、NHKの【クレイジーズ 世界を変える物語“ココ・シャネル”】を観たけど、あれだけ
の結果を残し、世界のファッション界を変えてみせたシャネルが晩年に語った素直な言葉
 

「私も誇り高く、美しい人生を送りたかった。

お金やお酒、人の悪口だけでなくね。

私の誇りは、私のデザインした服で世の女性たちを美しく装ったこと」
 

考えさせられますね。。。
彼女は、女性たちをもっとも美しく装い流行を創り出す!という社会の求める結果に対して真摯だったからこそ、
悪口もお金も人間の交際も、そんな薄汚れたものも受け入れて、そして結果を出した。
その迫力がホンモノだったってことで、だからこうやって死後、東洋の島国でドキュメンタリーが放映されるくらい、
生前彼女がなりたくてもなれないと思っていた、孤高なヒトになれたんだと思います。
僕なんかまったく中途半端で世界を変えることもできないけど、シャネルがこの言葉を発したというのは、もの凄い
示唆があるなぁと思いますね。


 

  • 投稿者 shibuya