ブログの渋谷

怒るということ

2016年11月11日

まぁまぁ怒る事がある。
怒るじゃなくて、叱るだ!とか、まぁそういう話はどうでも良くて、とりあえず感情的に怒る。
どういう場合に怒るのか?
端的な表現であれば「卑怯」なこと。
「ごまかし」「ウソ」「正しくない行為」「傲慢」「努力しない」「口先だけの言い訳」「騙す」
まぁ、そんなこと。
当社のフィロソフィーに反することと言えばもちろんそうだが、こういうのは小学生の頃に学んだ
ヒトとしてダメなことだとも思っている。
だけど、ステージが上がって負荷が強まったり、年齢を食って立場が上がったり、くだらない
プライドを持ち始めたり...まぁ何かどーでもいいものを持ち始めたら、それを守るために、
こういう卑怯な行為についつい走ってしまう場合って良くあって、こういうことはどんな小さな
ことでも絶対に見逃さずに、必ず怒る。
対象は当然管理職になる。
昔は、そういう怒り方はせずに、コーチング的というか、ユルイ管理をしていた時期もあったけど、
まぁ、上手くはいかんわ。
怒れないというのは、自分が傷つきたくないことの裏返しの場合も多いし、結局ユルイ管理に
なるのは、自分自身が責任を果たす気概が不足しているからだろう。
なので、「自分の周囲に起こる事はすべて自分の責任である」という考え方との相反に強く苦しみ
ながらも、怒る。
これは多様性の議論とは全く別次元の話だし、なんかキレイなコーチングの話とも別次元。
誰だって怒りたくはないが、怒る事が責任だと思う。
もちろん定量的な結果が出て無くても、そのプロセスにおいて努力をしていたり、真摯に取り組む

意思があったり、または気持ちはあるが単に知らないだけ...なんて場合には、怒らない。
そういう時こそ、丁寧に心を寄り添えて向き合うことが大切。
だけど、組織上位者になって、卑怯な振る舞いが少しでも感じられた場合には、問答無用。
今さら、時代錯誤だとか、パワハラだとか言われるのかも知れないが、それが自分の責任であり、
その上で、結果を出すことが自己の証明でもある。
このプロセスでは、恨みを持って去っていく人間もたくさんいるだろうけど、それはそれで、
そうにしか思われないのなら仕方ない。
怒られて委縮し、場合によっては単に腹立ち、次のチャレンジもせずに潰れそうになるヒトもいる
だろうけど、そういう場合には適材適所で軽い業務(報酬も低くて)に就かせることだな。
それでも中には素直に反省して、その中から考え方を学び、正当に次に向かって成果を出すヒトも
いるわけで、
そういうヒトは本当に信頼できるし、尊敬もする。
本気で向き合って期待しているからこそ怒るわけだし。

そして、どんだけ怒っていても、その裏側では愛情と軸を持ち続けることを、自分は見失わない

ように...
最後には、怒ってもギリギリ信頼関係を崩さないような存在であり続けられるよう、自分自身が
いつも正当で、やるべきことやっておくように...


 

  • 投稿者 shibuya