ブログの渋谷

厳しい指導

2014年09月24日

“反論できない立場、服従すべき立場にいる人に対して、思想のない単なるわがままから来る

指導と言う名の暴力的表現は絶対に許されない”
これは、いわゆる中学・高校などの部活指導者にありがちなこと。
先生に対して反論できるはずもなく、服従するしかない相手なのに、それをいいことに暴力・

体罰・人格否定・暴言を繰り返すというやつ。
もちろん、この体罰などは論外だが、暴言と言うレベルでは、ギリギリ線引きは難しいもの。

特に団体競技であれば、レギュラー争いなんてこともあるから、余計に反論できない。
少し前に、高校での体罰が社会問題となったが、まさに同じ論理だろう。
しかし、この問題でも中身をキチンと詳細に見てみると、いろんなケースがあると思う。
例えば、チームの和を乱し、当然やるべき約束事を守らず、基本を疎かにする選手に対し、

優しく自律性を求めて話をし、本人の自覚を促すだけで、本当にギリギリの勝負が求められる

チームスポーツにおいて、問題が修正されるだろうか?

幼いわが子に、道路信号を守らせるのに、薀蓄が必要だろうか?
これは「しつけ」の要素であって、否応無しに社会性を守らせることが、この社会で生きていく

ために絶対のことだ。
中学・高校の部活で、この「しつけ」という要素のことであれば、それはそれで厳しく指導を

する必要はある。もちろん、体罰などは論外だが。

だから、中身によって、状態によって、環境によって、対応は違うということ。

 

この問題は、仕事の場面においても、同様のことが言える。
私自身、このギリギリの淵に常に身を置いていると思っている。
自分の弱さから、ダークサイド側に転げ落ちることもあった。
ここでは書ききれないほどの多くの要素が絡んだ上で、ベストだと思われる選択があるので、

真理を定義することは不可能だと思っているが、かといってギリギリの淵に我が身を置かずに

うわっつらなキレイ事だけで済ませるようでは、真理の欠片すら見つけられない。
しかし、持続可能な状態を組織に求めるなら、トップや管理職の属人的要素だけで何とかしようと

思うのは本来間違いだ。

だから、この問題を回避する一助として、仕組みと風土が必要である。
360度評価みたいなものもあるだろうし、閉鎖的な環境を取り除き、できる限りオープンな環境を

維持することも良い。
さらに、管理職に求める真摯さや、正直さ、またそれを醸成するフィロソフィーや風土なども、日々

意思決定にまで根づいている必要がある。
こういう状態にまで昇華することは、本当に難しいと思う。
だけど、求め続けないと、そこには近づけない。
見る夢にも、責任を持てないといけないな!

 

  • 投稿者 shibuya