ブログの渋谷

意見と文句

2013年09月13日

最近良くこの事象にぶつかる。

●意見=現状ある課題を理解し、その上で資源や環境、その他の連関する事象を検討した上で、自分の意見はこうである。だから議論をしようと言う。

●文句=現状ある課題だけを、ああだこうだ、アレが悪い、誰が悪いと言う。

これ、当然大きな違いで、文句を言うヒトは「主体者ではない」
意見を言えるヒトは「主体者として責任を持っている」

当然、主体者ではないヒトの文句から、何も建設的な解決は生まれない。
それでも問題提起にはなる??確かにそれは必要だが、主体者ではない外野の問題提起は、そもそもその試合に参加する権利もないし、参加しているヒトからすれば、真剣に聞くはずも無い。
まぁ、文句は聞くに値しないたわ言のレベル。

逆に言えば、自分がその課題を何とかしたいのであれば、意見を言って主体者だと認めてもらうしかない。
自分の意見を言うためには、その事象についての見識がなければ言えないので、おのずと深く考察し勉強していないと意見にならない。
知識を持って深く考察しているからこそ、意見に自信と根拠が宿る。
それで初めて主体者だと認められ、この問題の課題解決が実現できる。
そういうロジックである。
認められたいのなら、強くなれ!
強くなるためには、知識をつけろ、経験を踏め!
ということだと思う。
強く主体者としての責任を全うできるかどうかが、これからの社会で生き抜ける術として、最重要だと断言できる。

若くて知識が乏しくても、自分なりの知識を搾り出して意見を言おうとするのであればOKだが、文句ばかりブツブツ言うのなら、そのヒトは変わってもらうしかない。
タチが悪いのは、一定の年齢(30歳を過ぎて)になっても、同様に文句に終始するヒトたちだが、これはもはや退場してもらう方がいいのかも知れない。
こういうヒトたちを見かけるたびに、イイ歳してほんとに恥ずかしいなぁ...でも、そのことにすら気づけてないのは、可哀相だなぁ~と。

  • 投稿者 shibuya