ブログの渋谷

"責任"

2011年06月03日

ここ最近この"責任"と言う言葉の意味を良く考えさせられる。

●立場上当然負わなければならない任務や業務
●自分のした事の結果について責めを負うこと

と、国語辞典にはある。
"責"だけで見ても「当然果たすべきつとめ」と書かれている。
「当然負う、当然果たす...」とあることからも、これは絶対条件なんだろう。
それなのに、その責を果たせない場合には、それを「無責任」と言い、それを人の責任として押し付けると「他責」となる。
一番タチが悪いのは、この責任の範囲から日常的に逃れる習慣がついていて、根本的にいつも責任を負わないという姿勢の持ち主。
そういう人はがんばっている人と同じステージに上がる権利さえ持ち得ないと言うことでいいだろう。存在する意味すらない。なので成長もしない。周囲と本質的に関わることなく、一生他責ばかりで死んでいくだけ。

さて、もう少し高度な責任について考える。
普通の人は、原則発達段階で社会性を身につけ、この責任の範疇についても学習と感覚で、同じ社会に属するもの同士の視点を共有できる。
これが大人になってその属する社会(会社組織)や立場によって、微妙に変化する。
幼少の頃から身に付いた広義な社会性が、会社組織や立場によって歪められる。
それにより、社会では通用しないような他責や無責任人間に...
人間とは弱いものなので、そんな風になってしまうのは、組織の歪な風土や立場に負けてしまうってことだろう。
なのでまず組織の風土として最重要なのは「責任の範疇」だと思っている。
いわゆる「自責意識」だ。
そして組織での立場上位者が、それに負けないために「ノブレス・オブリージュ」と言う思考が必要だ。
もう一つ、自我をコントロールするための「欲求の定義、最も目指すべきは自己実現の欲求」と言う考えである。
当社は、こういう思考ができる人材だけで構成したい。
そして、そういう風土であり続けたい。
このような社会性の大前提として成立するフィロソフィーのレイヤーにおいては、多様な考えを許容するという思考は通用しない。
これらは大前提である。
"責"とは当然果たすべき、当然負うべき...なんだから、そういうことだ。

歴史のある会社、既得権益を有する会社、勘違い社長が統治する会社...歪な組織、立場に負けた人材をたっくさん見てきた。
ちょっと気を許すと、それらは入り込んでくる。
だから、いつもいつもそうならないように風土醸成には注力する必要がある。
風土醸成のために、凡事徹底!
気持ちをこめて平凡なことを非凡に責任を真摯に果たし続けることが必要で、魔除けみたいなもんだと思っている。
「自責意識」「欲求の定義」「ノブレス・オブリージュ」「凡事徹底」「風土醸成」そんな当社の行動指針のすべてが"社会での責任を果たす"ために存在し、"成長のエンジン"である。

  • 投稿者 shibuya