ブログの渋谷

私と云う人間

2011年02月13日

私は虚栄心が強い、そして猜疑心もいつの頃からか強くなった。
今では、必ず物事をいったんは裏側から見るようになっている。
そして「会社を潰す社長は、真面目で気が優しくて騙されやすく、且つ虚栄心が強い弱い人」私はそうならないよう、猜疑心を持つようになった...と、人を疑う心を肯定化するようになった。

私は何でもやってみる方だが、それは思慮深いものではなく、単なる目立ちたがり屋なだけだ。
それを、「人生一度きり、やるかやらないか迷った時には、必ずやる方を選択してきた」などとかっこ良く肯定化しているに過ぎない。

私は表面だけの中途半端な完璧主義であり、またそれを部下にも求める。
本来の客観的な深い思想を持った完璧主義ではなく、「こうでなければならない!」を押し付け、「自由を勘違いするな!」と言うことで統治の材料にしているだけだ。

私は本来とても弱い。
それなのに、虚栄心が強く目立ちたがり屋だし、ちょっとは背伸びしないといけない立場になってしまっていたから、たいそう負荷に苦しんできた。
紛らわすために深酒もやるし、何か頼りたいものが欲しい。
人は誰も支えが必要で、本当は支える立場にならないといけないのに、まるでお話にならない。

私は自分勝手な小心者だ。
元来強くないので、心のどこかで「傷つきたくない」と思っている。
だから、立場を利用して人を攻撃したりもする。
事業・組織のためにではなく、自己の欲求を満たすためにそういうことをし、それを肯定化するために、事業戦略や組織論で武装する。

私は小心者なので、働いていなければ気が落ち着かない。
早く任せきれる状態になる方がいいなぁ~
でも、度量が小さいので任せられるまでに時間がかかる。
管理職と互いに良いバランスを見出したいんだけど...

私は偽善者である。
そして評論家でもある。
いろんな場面で、ちょっとした思想を伝えているが、実際にはまだまだ邪念だらけで且つ実践できてないこともたくさんある。
この理想と真実の心との乖離には、一生苦しみ続けるんだと思う。

そして、ここに書いたようなことの全てが世の中で一番嫌いだ。
私と正反対の人間を見ると、心から尊敬する。
私を突き動かすのは、嫌いな自分と言うコンプレックスから抜け出すことだけなのかも知れない。
逃げたい、諦めたい...と何度思ったことだろう。
「責任感」だけでここまでやってきた...と言うと聞こえはいいが、実際には責任逃れするような弱い人と言う本来のコンプレックスとオサラバしたいだけ。
本当は責任逃れできる人の方が、よっぽど強い人なのかも知れないが。

もっと私と云う人間の内面を自らえぐっていく必要がある。
こういう場でそれができたら、ちょっとは楽になるのかも(笑)

太宰はこう書いている「お上品なサロンは人間の最も恐るべき堕落だ。しからばどこの誰を真っ先に糾弾すべきか。自分である。私である。太宰治とか称するこの妙に気取った男である。~中略~何せどうも、気が弱くだらしない癖に、相当虚栄心も強くて、人におだてられるとワクワクして何をやりだすかわかったもんじゃない男なのだから。」
そう、まず糾弾すべきは自分の内面なのだ。


  • 投稿者 shibuya