ブログの渋谷

放浪記

2011年01月23日

高校の時以来で、林芙美子の"放浪記"を読んでいる。
五木寛之の初期の作品がこの頃一番好きだったなぁ~と思いつつ、なぜか急に放浪記が読みたくなった。
夜、Grover Washington, Jr.を小さな音量で流しながら、暗い部屋で小説を読むのがとても好きだった。
案外、ネクラなのはそういう頃から...(笑)
太宰や坂口安吾なんかも読んでたから、結構ヤバイ^^;

"放浪記"を今読み返してみると、30年の歳月が短くもあり、長くもあり。
「うまごやしにだって、可憐な白い花が咲くって事」なんてフレーズは、絶対に高校の時には意識しなかったろうな。
挫折を経験しなかったら、こういうフレーズは響かないし、それを乗り越えて少しは強くなってないと、その本当の意味も理解できないような気がする。
また、ほんのわずか90年前頃のわが国の描写が、その時代的社会的背景を知識として知った今では、色々な感性を刺激する。
感じるものがあるなぁ~

なぜ"放浪記"が読みたくなったんだろう...と思えば、ちょっと前にプロレタリア文学"蟹工船"がなぜか流行したのと、同じ感覚だったかも。
現代も表面的な豊かさは違えど、本質的には同じような時代感覚がある。
同時に、現代のアジア諸国のような混沌とした雰囲気の中で、本当の自由と若さと未来を感じることもでき、その視点では現代の方がより歪に不幸な気もする。
私は単に安全な場所に居て物語として小説を読むのではなく、私自身の気づきとして放浪の時代の思想として深く考えたい。


  • 投稿者 shibuya