ブログの渋谷

突破力!

2006年04月22日

どんなことでも、自分で勝手に引いた“限界線”と、自分で勝手に決めた“こうあるべきだろう”という認識と、自分で勝手に考えた“価値”などによって、自分の行動が抑制されている。
元々、何かの拍子に手に入れた知識や経験などからもたらされたこれらの“ボーダー”が、ある意味で自分自身の許容を示している場合が往々にしてある。
こんなこと、当たり前の話で誰だって分かっていることなのに、このボーダーを突破するとなると簡単にはいかない。
突破するための根拠となる強いモチベーションと、その源泉となる目標、責任、成長意欲が、相当強くなければ、案外口先だけに終わってしまう。
だって、わざわざ突破しなくても、フツーにはたぶん生きていけるし。
一度きりの人生....自分は何のために生まれてきて、何のために生き続けるのか?
元々、極々平凡で学もないアホな人間が、どこまでボーダーを突破できるのか?
ヤルしかないでしょ!!
  • 投稿者 shibuya

また一歩

2006年04月13日

また一歩、決意が強まった!
何が何でも、思った方向へやりきる決意が。
何かを守ろうとしたり、必要以上のリスクテイクを考えたり、自分に自信が持てなかったり、疲れたり....そういうことで、決意は時々弱まったりしてしまう。
断固たる決意!を新年度早々しっかりと再確認したつもりだったが、何かの外的な強い力か、自分の内面にある弱い気持ちかによって、流されてしまう時があったりする。
内面の弱さの中には、人の本能的なものも含まれるので、実はこれが一番困りものかも知れない。
自分で勝手に作ったボーダーラインを超えていかなければ!
決意が曖昧だと、本質的な優しさではなくって、その場しのぎの、または自分が好かれたいための優しさしか表現できないが、断固たる決意と強い自分は、本当の優しさを伝えることができる。
“男は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きる資格がない。”
ってことなのか、フィリップ・マーロウ!?
  • 投稿者 shibuya

ワンピース#41

2006年04月11日

いやぁ~良かった!
感動したなぁ。
1冊読む間にティッシュを一箱消費したかもってくらいに....
元々ロビンファンだったんで、今号は余計に^^;
でも、ワンピースって良く考えられてるなぁと、再認識した。
伝えたいことの本筋がブレてない。
なんか、最近では一番の気づきを持てた気がするし、迷いのあった仕事への意識が吹っ切れたから、マンガでもバカにしちゃあいけない。
ルフィ見てると、リーダーってそうでなくちゃって、マジで感じる。
  • 投稿者 shibuya

逆説の日本人論

2006年04月10日

JAL CARDのメンバーズ情報誌に、「逆説の日本人論」という短い英国人のコラムが掲載されていた。
内容を、簡単に紹介すると。
欧米人のほとんどが「日本人」と「中国人」は似ているという発想を持っているが、来日及び訪中してみれば、それが全くの間違いであることに気づく。
中国人は多くの点で欧米人的。
個人主義でドライで議論を好み、正しいか間違っているかは別にして原理原則を強く主張する。
日本人論を語るとき、そのほとんどが単一民族なので和にこだわり家族的とか、米作民族なので・・・と言われることが多いが、著者は日本人が他の民族と違うのは、日本人に何かが起こったのではなく、島国でおまけに鎖国が続いた日本には、「小さな集団の中で、感情・感性・グループ意識を大切にする社会」という極めて人として正常な感性基盤を維持することができたのではないかと説いている。
大陸の多くの民族は、他民族と接触することを余儀なくされ、そのために家族的・小集団的価値観から、より原理原則を主張し、議論する個人主義を機能させることを強いられたのだと。
中国・インド・欧州・中東など、大陸的な民族には、すべて現代の欧米人的感性が当てはまるそうだ。
例えば、英国は日本と同様に島国であり、最近でこそ欧米化しているが、50年100年前までは、日本との類似点の多い、正直で丁寧で人間関係を重んじる“ものづくり”の伝統が息づく国であったようだ。
コラムでは、日本も近代、大陸から新しい文化を取り入れているが、しかしその軸足は元来持つ基盤に軸足を置いている点に、実は欧米人は惹かれていると締めくくっている。

欧米人の価値観も、日本人の感性も現代では多様化が進み、単純に総論で括れるものではなくなっているが、このコラムの論点は極めて的を得ている。
別に、「日本人万歳」というような、デカダンスな国粋主義を唱える気持ちは毛頭ないが、自分たちが何者で、世界と何が違って、何が優位で何が劣っているのかを傾向として考えることは、自らの理論における根拠の一つとしては持っていたい。

もしかしたら欧米人は、日本人の極めて日本人らしいところが、ウザくて、バカみたいで、気持ち悪くいけど、少しだけ懐かしいのかも知れないんだから......違うか^^;
  • 投稿者 shibuya

新年度

2006年04月04日

いよいよ新年度!
昨年度は、ここ3年程度推進してきた受託業務から、より専門性があり付加価値度の高いサービス提供へと進め、ある程度の道筋は出来た。
その過程で、能力不足から多方面の皆様にご迷惑をおかけしたこともあり、大変申し訳ないと心底感じている。
しかし、そういう失敗もこのフェーズにおいては、必要な失敗なのかも知れず、ご迷惑をおかけした方々には、これからも決して逃げずに末永く報いていく以外に、信頼を取り戻す方法は無い。

新年度となり、とてもフレッシュ??とは言えないかも知れないが、ある意味新しいパワーももたらしてくれそうなスタッフが7名増えた。
今回の採用には相当深い想いがあり、絶対に「有言実行し、責任を全うする!」という決意を、更に強めることができた。
いわゆる「断固たる決意!」である。(スラムダンク調に...)

新年度は、昨年のベクトル通り、本質的に住民の生活が豊かになるサービスの提供を目指し、日本人のマインドを忘れずに、より付加価値度の高い事業に邁進する。
私個人的には「デモクラシーを変革する」くらいの気概であり、変わり行く日本のガバナンスそのものが、当社のマーケットであると考えている。
当社のようなICT企業にとって、この分野における“シビル・ミニマム”は、まだまだ整備が遅れていると感じると共に、IP技術の進化と住民意識の多様化、地域分権の流れ及び地域ニーズの把握などと共に、より高度なサービスが求められ始めている。
まだそこまでを事業ドメインに含めてしまうと、明確な目前のターゲットがボケるので、現段階での事業そのものについてはそこまでの明言は避けるが、ハッキリと今年度やるべき事業のベクトル上に、治者と被治者の自同性を強めたデモクラシーの本質が見える。
  • 投稿者 shibuya

世界地図

2006年03月27日

少し前に、世界地図と日本地図の詳細なやつで、いろいろと多様なカテゴリー毎のランキングなどが掲載されている本を購入した。
昨晩は、NHK-BSで“新シルクロード”を見ながら、その世界地図を追いかけた。
世界地図を見てると時間の経過を忘れてしまうが、今ではこれに“Google Earth”まで起動してしまうので、まるで時間が足りない^^;
日々に忙殺され、こんなに素直に世界地図を眺めることすら忘れていたとは...
シルクロードと言えば、小学生の頃「ヘディン」のタクラマカン砂漠冒険の本を読んだのを思い出した。
そのイメージを辿りながら、地図上のドキドキするような地形とその現地を思い描き....小学生の時には、漠然としたイメージだったが、大人になったらいろいろな背景とか根拠とか知識が身に付いた分、より新鮮で興味が湧く。
もう一度、地図とか歴史から世界を見つめ直し、経済とは違う視点で世界と、世界の中の日本を感じてみたいと思った。
  • 投稿者 shibuya

先週は山陰で...

2006年03月20日

先週、島根・鳥取方面への出張があった。
出発直前の雪で、車の予定を急遽行きは飛行機(伊丹~出雲)で、帰りは電車に変更した。
行きの飛行機は、SAAB340Bというサーブ社のプロペラ機で、36人乗り.....
おまけに、悪天候の中の飛行でかなりビビッた。
乗客は7~8人なのに、全員飛行機の後ろの方に乗せるもんだから、客室乗務員にどうして?って聞くと、「コックピットが重いので、重心を取るためにお客様は8番より後ろのシートに座って下さい」だって....
しかも、結構な揺れで、ちょっと気分悪し。
仕事は、取り合えず済ませつつ、翌日は電車で移動。
前日までの雪模様とは一転の快晴!
春を思わせる陽気に、雪景色がキラキラして、山陰本線の車窓から見える景色がとても暖かだった。
いやぁ~何だかつかの間の安らぎというか、こういう感動的な景色を見るのは、いつぶりだろうと考えつつ、昔は大阪の夕日でも感動してたのに.....と自分の心が、価値観の移り変わりに従って、仕事に集約されていることに気づく。
別に、何が良いとかは無いけれど、“美しい景色”“音楽”“映画”etc に心が動き、感受性が広がることは、仕事における右脳の活用にもつながる訳だし、絶対にバランスを維持していたい。
きっと、未だにスポーツを続ける良さも、アドレナリンが分泌され、瞬間的に脳が全快で働き、自分がいつも利用する脳の働きとは全く異次元で、勝手に体が動きシュートが入る...そういう時の感覚がイイんだろうナァと思う。
もっと、感動する心を大切にしないと。
仕事に忙殺されるだけでは、余りに人として面白みに欠ける。
経営者の責任としての自己成長には、そういう要素も多分にあると思うし。
  • 投稿者 shibuya

WBC!

2006年03月15日

米国では、ワールドベースボールクラシック(WBC)なる、野球のワールドカップが開催されている。
さて、誰もが日本vs米国のゲームにおける、主審の不可解なジャッジを知っているだろう。
こういう時に、いつも「日本人の意識」を大切にして欲しいと思う。

イチローは、野球発祥の国「米国」で日の丸が掲揚されることに、別の次元の感動を覚えたと言う。
私たちは日本人であり、あのジャッジに対しては、非常に怒りを覚えたが、そんな次元ではない選手たちのコメントには、とてもプロを感じた。
朝のTVでは、米国は元々移住者も多く、“アンフェア”なことが多すぎるので、“フェア”であることに、大いなる価値を求めているが、今回の件は結局土壇場になると、やはり米国は米国でしか過ぎないという論調があった。
その通りだと思う。
日本選手が、無意味な行為を行わず、“むかつく”思いをグッとこらえて、次のゲームに集中しようとしているコメントには、WBC選抜選手の、日本人の日本人たる所以を見た。

シドニー五輪で、柔道の篠原選手が、審判の誤審で金メダルを逃した。
篠原選手の一言は、「弱いから負けた」である。

では、勝利とは何か!?

WBCにおける勝利なんてものは、一つの目標に過ぎないのではないか。
それ以上に尊いものを、今回の日本選手からは感じる。
この経験によって(米国戦の誤審も含め)、成長できる要素から見ると、もっと大局的な本当の勝者は日本チームであると思ってもいいかもしれない。
これから、まだ2試合を残し、決勝トーナメント進出の可能性も大いにある。
その2試合に、勝つか負けるか今日時点ではわからない。
しかし、そこに言い訳を排除して全力で勝とうとするチームが作れていることが、日本のレベルの高さであり、フェアな国「日本」の真骨頂だと思う。

アンフェアなことなんて、いくらでもある。
日本は平和ボケなんて言われているが、何が正しくて、何が正しくないかをしっかりと理解した上で、アンフェアな状況をしっかりと受け入れ、言い訳せずに、その逆境も自らのためと考えて、更に成長を続けることができるのが、日本の強さではないか。
変に、国際的な感性で、何でもかんでもお金優先であったり、勝利優先であったりする姿勢こそ、日本人らしさを失ってしまい、競争力のない国になるような気がする。
アンフェアな状況を、笑って受け入れてしまう方が、よほど不気味でカッコいい^^;

“日本らしさ“の大儀を貫き、人として何が本質かを見極められるようになりたい。
  • 投稿者 shibuya

The Internet

2006年03月11日

インターネットを考える時、今でも根底にあるのが、村井純先生の「インターネット」という本である。
岩波新書から1995年に発刊されたが、その当時村井先生に読者からのメールっぽく感想を書いたら、お返事をもらったのを覚えている。
現在の会社を設立したきっかけであったとしても、過言ではないかも知れない。
残念ながら、誰かに貸して返ってきていないようで、探しても見当たらない。

私自身はもう少し別の解釈も含めて、インターネットは欧米型グローバリズムのインフラストラクチャであり、日本的には構造改革のツールであると昔から言ってきた。
“自己責任”“フラット”“スピード”“インタラクティブ”“オープン”“グローバル”など、インターネットが持つ仕様や思想が、社会の構造を変化させてきているのは明白である。
インターネットのお陰で、情報公開と透明性が叫ばれるようになり、コンプライアンスが重視され、個人投資家が増加し、個が保有するリソースが適切に評価され始め、メディアの在り方が圧倒的に変化し、通信コストが格段に下がった。

これがわずか10年の出来事である。
当たり前のように日常を過ごしているが、このブレークスルーをしっかりと見極めているかどうかは、これからの10年非常に重要だ。

上述の仕様や思想を個々に検証すると、インターネットが単なる通信インフラではなく、変わり行く時代のある種のフィロソフィーであるかのようにも感じる。

18世紀、英国を中心とした西ヨーロッパで産業革命が起こった。
大きな意味で第一次産業から第二次産業への変遷であろう。
その後、第三次産業が脚光を浴びるようになり、さらに第四次産業?として“知識集約型産業”等として取り扱う論調まで出てきた。

「情報革命」などと言われて久しいが、確かに後世、今の時代は一つのパラダイムシフトが起こった時代として、取り上げられる。
そんな時代を生き、そしてしっかりと社会に活きるミッションを実践するためには、根底にある「インターネット」の仕様や思想に立脚した事業を実践することが重要である。
そしてもっと大切なことは、人間主義を原則としながら、インターネットを活かすことであろう。

※恐らく、私はさほどインターネットを使いこなすことが好きではない。
だからこそ、冷静な目で、その価値を判断することができるのだと考えている。
  • 投稿者 shibuya

考える力

2006年03月10日

日本人が考える力を急速に失ったというのは、“教育が悪い”という論調と共によく語られることだ。
「PRESIDENT」誌の記事よると、米国の高校では試験における「カンニング」が許されているらしい。
“覚える”ではなく“最速で正しい解を見出す手法を実行する”という方針のようで、友達に聞いてもいいし、Google mobileを使ってもいいと言うわけだ。
これって、大学ではともかくも、高校で実践しているのは結構すごい!
確かに、覚えることも大切だが、最適解を見出す実行力の方が、社会では重視されているのは誰もが認めるところであろう。

最近小学校の先生と話をする機会がとても多い。
この「考える力」養う教育方針を打ち出している学校である。
実態的に行われている教育手法を細かに把握はしていないが、全体としては比較的ユニークな教育を実践しているように感じる。
現状現場でできる範囲(覚える学習とのバランスを含め)としては、大健闘だと思うが、やはり文部科学省になるのか、市教委になるのかわからないが、方針と時間と予算と計画と構造が余りにいびつである要素は否めない。
社会に出る人材を育てるのに、先生に一般的な社会経験が無いこと自体があり得ないという議論は、あまりに当たり前過ぎて、もはや語られる必要もないか。

「考える力」を本質的に育む手法に取り組まなければならない。
会社に入社してから、そういう話をしなければならない状況では、あまりにも.....
それにしても「考えられない」大人の多いことか。
最近は、知見を有して考えたもの勝ちなのに。
考えられない人は、いつまで経っても敗者であり、言い訳に終始する。

アッそうか、逆にみんなが考えない人の方が都合がいいんだよな。
それに気づいた人が、教育方針を構築しているかも知れないし^^;
  • 投稿者 shibuya

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